赤い激流―グイン・サーガ(61) (ハヤカワ文庫JA)
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コメント
作者死去により未完の大作となってしまった‘グイン・サーガ’シリーズ第61巻。
20年以上リアルタイムで読んでいたが、作者が亡くなる以前の段階で作品としての質の劣化に耐えられなくなり、そこで読むのを中止した。いずれにせよ不完全な物語になったので、基本的には処分しようと考えており、実際既に序盤の大半は放出したのだが、印象的なシーンの描かれた巻については残しておきたいと思い、どうすべきか悩んでいるところである。
とりあえず、質の低下がかなり顕著になってきた記憶のある辺りを見直そうと思い、読み直した。
(注:舞台設定を説明しだすととんでもない分量になるので、ここでは省きます。国名・登場キャラの来歴等は他のサイトで検索して下さい)
丁度この巻は、クムのタリオ大公を倒し、自分に異常な執着を見せる副官・アリストートスを殺した後、ゴーラ王への野望をみなぎらせるイシュトヴァーンが、取って返してタルー・ネリイ連合のユラニア軍との勝負に臨む直前、それにパロのクリスタル公ナリスと宰相ヴァレリウスの密談を描いた部分に当たる。
その出自から、他人からの無償の愛というものが信じられずにいるナリスという人間の持つ、自身ですら気づいていない根源的な孤独や寂しさにヴァレリウスが気付いて涙するくだりは一応見どころとして挙げられる。
だが、グイン・サーガシリーズの抱える最大の欠点である冗長さは、この時期にはやはり既に始まっていた、という印象である。特に、国際情勢について各国首脳が会話しながら分析するシーンが、同時期のそれぞれの国ごとに繰り広げられるので、結果的には立場こそ違えど同じ内容の話が繰り返される格好になり、これはもう読んでいてかなりしつこさを感じた。これが例えば一方は先の見通しの甘い愚か者が配置させられていれば、器量の差というコントラストを浮かび上がらせる上でも効果があるのだろう。ところが、それぞれの国の有能な知恵者の分析、という体裁になっているので、分析過程も同じなら行き着く結論も同じになってしまう。であるならばある程度省略した書き方をすべきなのだが、著者はそれぞれに見せ場を作る、という一点にこだわるあまり、その事がもたらす弊害に気付いていないように思えてしまう。
また、軍議が長いとこぼすイシュトヴァーンの愚痴そのものが長いのも困りモノだ。これも最初の内はそういうキャラクター造形なんだからと苦笑い程度で読み飛ばしていたのだが、さすがにこの大長編の中でクドクドした不満を連発されると、苦笑いだけでは済まなくなってくる。他人の愚痴など読んでいて面白いものではないのだから、そういうキャラにした事そのものが決してホメられたものではないし、またそうしたリスクを背負った以上、少なくともそれを最低限のところに抑えるのが作家としての技量だと思う。
だが以前にも書いた通り、もうこの頃には著者は推敲という重要な作業を省略していたと思われるので、こうしたマイナス要因を抱えてしまっている事にすら気付いていなかったのだろうろ思われる。
数か月に1度の300ページ余りというペースだったので長く付き合えたが、正直一気に読み通すのは時間に余裕があっても難しいと思う。著者はギネスに残る長大作だと誇っていたが、長けりゃいいってモンでもない、というのは再読してみるとよく分かる。
今後も適当に拾い読みして、保存するか放出するかを判断していく予定。
本書は本来なら放出したいところだが、ターニングポイントとなる巻同士の谷間にあたる部分なので、ちょっと困っているところである。





あきゃさん 

