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死亡フラグが立ちました! (宝島社文庫) (宝島社文庫 C な 5-1)



評価
著者 七尾与史
出版社 宝島社
読者 男性あきゃさん
読書日 2010年07月22日(木)
発売日 2010-07-06
書籍コード ASIN:4796677259 ISBN:9784796677257
値段 580円
形態 文庫 10.6×15.2×1.6cm 全349ページ

 コメント

雑誌ライターの陣内が、ひょんなきっかけで頭の切れる高校時代の先輩・本宮や、顔馴染みのやくざである松重と共に、都市伝説のように見られていた、事故死に見せかけてターゲットを殺す事を得意とする‘死神’という名の殺し屋の実態を掴みに行く、という、スラップスティックなタッチの作品である。

4つの物語が同時進行していき、次第にそれらが交錯していくという筋立てはまぁよくある手法ではあるし、内容的にも割と王道路線に近いようなプロットではあるが、それなりに楽しむ事は出来た。
本書がこの著者のデビュー作であるという点を考慮すれば、とりあえず合格点と云っていい。

ただ、どう受け止めるべきか悩むのが、謎が見えて来る部分に関する展開部分である。著者が意図的に読み手に分かるようにネタばらししているのか、それとも単純に技量が足りなくて簡単に見抜けてしまう程度の謎しか書けなかったのか、判断に迷う。特に顕著なのが‘死神’の正体に関わる部分で、どこまでが伏線のつもりでどこからが読み進めていく上での了解事項になるのか、その境界が曖昧なのだ。
勿論、ヒントが複数用意されたクイズ問題のように、どの場面で正体に気づいたか、というのを他の読者と競う事が出来る仕立てにした、という意図なのかも知れない。コアなミステリーファンならかなり早い段階で推測出来、その後の展開から主人公を始めとする登場人物がどのようにしてその正体に行き着くのか、という「古畑任三郎」的な楽しみ方にシフト出来るし、ミステリー初心者は最後の方まで気付かずに読み進められる。本書が確信犯的にそこまで計算されていたのだとすれば中々サーヴィス精神に富んだ作品という見方も出来るだろう。だがその場合、本書には「古畑任三郎」のような緻密な仕掛けが施されているワケではなく、むしろ後半は‘死神’の仕掛けたワナを如何に掻い潜るかが焦点となってくるので、ミステリーというよりはミステリーの体裁を借りたパロディという目で見ないといけないだろう。
無論、小説は突き詰めれば面白い小説かつまらない小説の2種類しかないワケで、ミステリーであるか否かというようなジャンル分けに固執するのはナンセンスであるとも云える。だがジャンルの垣根を取り払って裸の状態で論評するとなると、骨格に残るのはパロディ、即ちありがちなお話の二番煎じ、いやそれ以下の殆んど出がらしみたいなプロットになるので、ある意味退屈に感じる部分もある。「お約束」な展開が比較的容易に予想出来て、概ねその通りに事が進むので、どうしてもそうなる。一応ヒネリが加えてあった部分もあるのだが、多少は読み手の想像を裏切らないと、という配慮は働いたのだろう。
そんな作品であるが故、狙いとしては面白いとも思えるものの、どこかしら中途半端なイメージも同時に残ってしまうのである。その中途半端さは、宙ぶらりんな印象のラストで強力に補強された感がある。

あと全体を通して気になったのが、人の死がかなり軽く取り扱われている点である。そう云うと、世のミステリーは大半が殺人事件が起きてそれを解決する話なのだから、ミステリーはおしなべてそういうものだ、と反論されそうだが、そういう単純な話ではない。ミステリーにおける人の死は、単なる状況設定か、或いは復讐というような人間の持つ情念と結びついて描かれている。殺す方にも殺される方にもそれなりの理由が存在し、その部分こそがストーリーのキモであったりする。だが本作では、殺し屋という、金銭のみで殺しを行う人間が一方の焦点であるという理由もあるのだろうが、どこかゲームのような感覚を覚える表現で人の死が綴られていく。
これは本作に限らず、いわゆるデス・ゲーム物と称されるジャンルでも同様の傾向があるが、少なくともデス・ゲーム物の始祖である「バトル・ロワイヤル」では、殺される側が死の直前まで抱いていた思念を克明に描き切る事によって、ゲーム性よりも極限状態に置かれた人間心理がストーリーの主旋律である事を主張していた。だが後発以降、その設定の過激さばかりが模倣され、その直前まで言葉を発していた人間が唐突に退場するにも関わらずそのまま何事もなかったようにストーリーが淡々と展開する、という作品が増えた気がする。人が死ぬ事で登場人物の心が揺さぶられる、という流れにならないのだ。
これは最近デビューした作家がゲームの影響を強く受けて育ったからなんじゃないか、と考えてしまう。ゲームの世界の、1と0しかないデジタルが支配する世界観の中に於いては、一部の上質なシナリオの用意されたゲーム以外、敵は倒して消し去るものであり、逆に自分が倒されれば画面上から消えるだけである。そこに、死に対する恐怖感は介在しない。痛みも苦しみも伴わない。そうした、死に対して深い思索を巡らせた経験を持たない書き手が物語を作ろうとしても、その根源的な部分に対する思いがないので、いとも簡単に登場人物が死んで、あっさり忘れ去られてしまうという、血の通わない作品が出来てしまうのである。
本書はそもそも設定がゲーム感覚で作られているので、別にそれでいいんじゃないかという意見もあり得るかも知れない。だが、ヤクザの恫喝に怯えまくった主人公が、人の死に対しては瞬間的に恐怖を感じるもののその後殆んど感慨を抱かない、という思考回路は、やはりどこかしら不自然なものを感じるし、感情移入を妨げる要因になっているように思う。

いずれにせよ、本書は色々な意味でこれまでになかったアプローチを試みた実験作だと思う。それが良い方向に伸びるか悪い方向に堕ちていくかは、次作以降の出来にかかっているだろう。但し、小手先芸だけが頼りの綱では、いずれ壁に行き当たるに違いない。著者の正念場はここからである。

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