エロマンガ島の三人 (文春文庫)
|
|
コメント
5篇からなる短編集。
戦後生まれで小学校高学年以上の男子ならば、勉強がキライな子供でさえ、‘エロマンガ島’という名前はまず知っているハズだ。下ネタへの関心が高まる時期、この島がバヌアツという国の領土である事は知らなくとも、地図帳の南太平洋の真ん中にポツンと存在するこの島の名前を見つけ、友人をつついてはお互いニヤニヤし合った記憶は、全国的に共有されているだろう。そもそも、特段歴史上着目すべき事件が起きたワケでもなければ、珍しい特産物が存在するワケでもないこの小さな島をわざわざ名前を挙げて表記している地図帳の編集者は、確信犯に違いない。
とはいえ、そんな思い出は大人になるにつれやはり大半は忘却の彼方に葬られ、まず思い返される事はない。
そうした些細な記憶をキチンと呼び出す事の出来るところが、この本の著者である長嶋有の優れたところである。もっとも、このタイトルのついた表題作は、知り合いのゲーム雑誌編集者が実際に雑誌上で‘エロマンガ島に行ってエロ漫画を読む’という実にバカバカしい企画を敢行したエピソードの裏ネタを拾って小説に仕上げたものらしいのだが。
しかし、ストーリーそのものはどの短篇も案に相違して比較的穏やかに展開していく。
表題作は同行するオタク趣味の同僚の言動がいちいちウザいものの、急遽随伴する事になった謎めいた男・日置に対する思いも含めて主人公の佐藤の思いはかなり醒めており、かつ醒めているなりに日本での日常から離れた世界で世の中や己の人生を見つめ直していく、という話である。
「女神の石」は著者初のSF作品だそうだが、設定がSFなのに登場人物のやり取りが限りなく現実世界をなぞっているのが不思議な印象を残す作品だ。
「アルバトロスの夜」も、あまり見かけないゴルフを基調に据えた小説だが、やはり醒めた主人公の心象風景が、ともすれば間延びした印象を与えかねないゴルフというスポーツを描写する上でのリスクをカバーして余りあるものにしている。
「ケージ、アンプル、箱」は、官能小説という依頼に戸惑いながら書いた作品だそうだが、長篇作「パラレル」のバイプレーヤーである津田が主人公に据えられていたので、スピンオフ的な楽しみ方の出来る物語になっていた。これもやはり醒めたキャラなので、編集者が注文したような情熱的な要素は正直薄かったと思うが、むしろ長嶋有の作品として捉えた場合はこちらの方がずっといいテイストの仕上がりになっているように思う。
「青色LED」は実は表題作と対をなす作品なのだが、この作品が同時収録されている事によって、表題作をより深みのある、味わい深い印象にするのに一役買っている、という感じだ。
本書全篇、というか長嶋有作品の殆んどに通底しているこの‘醒めてる’感じこそが、現代を生きる多くの20代〜40代に共通する視点であり、つまりは現代を読み解く上でのポイントであるように感じる。その意味では長嶋有という作家は、現代を文章で表現する能力に非常に長けた作家だと思う。
但し、情景描写に用いられる小道具類や登場人物同士が交わす話題に使われるテーマ等は主に1980年代に若者に流行したものであり、そうした部分に於いては読み手を限定してしまう部分がある。
幸い著者と同い年である身としては、作中で名前の挙がるアイテム類は大概すぐ想起する事が出来るのだが、今の30歳以下、或いは45再以上の読み手にとっては謎の単語が頻出する作品、という印象を持つだろう。例えばハドソンというゲームメーカーから「高橋名人の冒険島」というファミコンソフトが販売されていた、という事実は、1987年頃にファミコンに夢中になっていた世代には懐かしくて涙が出そうな話題だが、そこに当てはまらない世代、もしくは世代的には同じでもファミコンに関心を持たなかった人(女性には多いだろうな)にとっては、何の感慨も湧かないだろう。
それは、ある意味学生運動を扱った小説が最早殆んど世の中に出回らなくなった事と同じで、共感を得るアイテムが特定の世代にしか通用しないものであれば、普遍的な価値を持つ作品とはなり得ないのである。
まぁある程度の固定ファン層を獲得していれば食うには困らないだろう、というような考え方をしそうな著者ではあるのだが、繰り返しになるがその独特な‘醒めっぷり’が新しい文芸スタイルと評価されたからこそ、この著者は芥川賞を受賞できたのだと思う。
その意味でファンとしては長嶋有には、もう少しラクな方向に逃げず、何年経っても色褪せないような作品を期待したいところである。





あきゃさん 


corinさん 
